そして男は時計を捨てた・・・

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歴史上の人物から注文がワンサカ!!

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虎屋という有名な和菓子屋があります。創業は古く、室町時代後期に京都で創業した和菓子屋の老舗です。後陽成天皇に和菓子を献上して以降、皇室御用達になり、以来約480年の歴史があります。



その虎屋には、様々な歴史上の人物からの注文記録が残されています。



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「水戸黄門」として知られる徳川光圀は元禄13(1700)年に、かつて宮中と将軍家との交渉を担っていた中院通茂が70歳の古希の祝いに、まんじゅうを100個贈っています。



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まんじゅうの上に紅で「福寿」と書くように、まんじゅうの皮は27匁(今の約100グラム)、まんじゅうのあんこは43匁(今の約160グラム)と重さも指定しています。



よく見てみると、皮が27に、あんこが43で合わせて70の重さ、70歳の祝いにちなんだ粋な贈り物のような気がします。



虎屋のまんじゅうの重さは現在、約50グラムです。江戸時代の標準サイズでも約150グラムだったといわれており、光圀が贈った260グラムのまんじゅうは超特大のサイズ、それを100個ですから、合計したら26キロを当時、運んだことになります。



その他にも、5代将軍徳川綱吉の時代に、きり箱にびっしり詰められたお菓子が京都から江戸城本丸へ贈られた記録もあり、その時は旅の日程を考慮して、アメなどの比較的に日持ちのよい干菓子が選ばれたそうです。



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赤穂浪士の討ち入りでは敵となった吉良上野介には、京都の公家から南蛮菓子のカステラや落雁などが、箱に詰めて贈られた記録が残されています。


それにしても、黄門様の特大まんじゅうはすごいですね・・・こんな声が聞こえてきそうです。


「この、まんじゅうが目に入らぬかぁ!!」