そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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古代日本史ロマン(4) 飛鳥時代以降の出土品

時代は聖徳太子が存在した飛鳥時代以降へと続きます。


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日本最古の本格的な庭園とされている奈良県明日香村にある飛鳥京跡苑池は飛鳥時代に造られたといわれています。その苑池で湧き水を利用した流水施設が出土しました。



そして、大阪市天王寺区の四天王寺にある亀形石造物は、明日香村にある亀形石造物と同じ飛鳥時代に造られ、水槽の構造やサイズも同じであったことが判明され、いずれも天皇家による祭祀と関連があったと推測されます。


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宮城県岩沼市の原遺跡では、中央の指令を伝える役人が馬を乗り継いだ「駅家」の可能性が高い施設跡が見つかりました。これまでに駅家と判明された遺跡は全国でもきわめて珍しいもので、当時の交通網や物流を考える道標になります。


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三重県明和町には、伊勢神宮に仕える皇女「斎王」が過ごしたとされる斎宮跡があります。その跡で飛鳥時代に建てられた宮殿の一部と見られる建物跡が確認されました。最初の斎宮の期に、天武天皇たちが、伊勢神宮の祭祀への関与を強めた様子が伺えるといいます。


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京都市南区にある西寺跡の近くで石建物を建てるための地盤改良をした穴跡が見つかりました。



794年に遷都した平安京で、西寺と東寺の伽藍配置は朱雀大路を挟んでの左右対称だったとされており、西寺の五重の塔の可能性が非常に高いと見られています。



教科書などでしか知らなかった時代が本当に実在していたのだと感じずにはいられませんね。


だとするならば、今という時代もこの先の何百年、何千年先の誰かによって謎は解明されていき、私たちの子孫たちの教科書、そしてニュースに載っているかもしれません。