そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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江戸文化を継承する町 東京向島

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東京黒田区向島、向島は隅田川の向こう側の島のことを指します。武蔵と下総の国府を結ぶ官道沿いの町で古くから開けていました。



江戸時代天明の年を過ぎた頃から文人が町を頻繁に訪れるようになり、隅田川沿いの寺や神社には多くの句や記念碑が残されています。



隅田川沿いの墨堤の桜は、あの8代将軍徳川吉宗が植樹して、花見の名所として名をとどろかせています。



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東京向島は豪商の寮や別荘がそこかしこに営まれ、富裕層を目的とした有名料理屋が繁盛し、芸者たちや幇間などを引き連れては、隅田川を船で上ったり下ったりして桜や月を愛で、料理屋に繰り出しました。その一方、一般庶民は点在する七福神巡りを楽しんだようです。


江戸時代の東京向島とは、文化人や一般庶民にとっての行楽の地だったのです。



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向島百花園は19世紀始めに、日本橋の骨董商であった佐原鞠塢によって梅園として開かれました。彼は文化人との交友が幅広く、画家である酒井抱一が「百花園」と命名した話しもあります。



園内は文化人のサロンの様になっていて、大名や社寺の庭園とはまた異なった江戸町文化の庭園に育っていきました。


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松尾芭蕉の高弟である宝井其角が雨乞いの句を詠んで奉納した翌日に雨が降ったと伝えられる三囲神社、この神社は隅田川七福神の1つで、百花園に集う文化人の提唱により始まったといいます。



有名料理屋の繁盛には、芸者たちを擁する花街の誕生を促し、花街は現在まで継承されています。


東京向島は江戸の人たちが風雅に浸ることの出来るそんな町だったのです。