そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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ハンセン病差別の歴史

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岡山県瀬戸内市内の瀬戸内海に浮かぶ島・長島。この島の総面積は6.6平方キロ。この小島に、国立ハンセン病療養所が2園あります。邑久光明園と長島愛生園です。



本土と長島を結ぶ邑久長島大橋は、入所者たちの架橋運動によって1988年に完成され、島外との交流の架け橋として「人間回復の橋」と呼ばれています。



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長島愛生園は、1930年に、日本初の国立ハンセン病療養所として開設されました。当時、ハンセン病は遺伝病ではなく感染症であることは分かっていたのですが、有効な治療法がなく、国による療養所への強制隔離が行われました。




発病すると皮膚の病変を起こし、抹消神経の知覚が麻痺して、やけどやケガを繰り返し、手足や顔が変型する後遺症が残り、偏見や差別の対象となったのです。



戦後、劇的な効果をもつ治療薬が導入され、ハンセン病は治癒可能な疾患になりました。しかし、日本では1996年の「らい予防法」の廃止まで、強制隔離政策が漫然と続きました。



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1950年代半ばには全国で1万2000人近くが療養所に入所し、愛生園入所者も1700人を数えました。



軽症者は重症者の看護や土木、農作業などを強制されていました。また、断種手術や堕胎も合法化、強制されていたといいます。



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浜には入所者にとって社会や家族との別れの場となった桟橋が残り、入所直後に収容された寮では消毒風呂への入浴や、持ち物の消毒が行われました。丘の上の納骨堂には引き取り手のない3600人を超える遺骨が眠り、その半数は本名はなかったのです。



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現在、愛生園入所者は145人、平均年齢は86歳を超えています。入所者は厳しい環境下の中で強く生きてきたのです。人権研修の場として長島愛生園は今、光明園とともに世界遺産登録を目指しています。


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