そして男は時計を捨てた・・・

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大志を抱いて行け!行け! 松浦武四郎

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1818(文化15)年2月6日、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市)の郷士の家に小柄な第4子が生まれました。蝦夷地をくまなく歩き「北海道」の名付け親となった松浦武四郎です。



現存する武四郎の実家は、お伊勢参りの道筋にあたる伊勢街道と雲出川が交差する地にあります。武四郎が13歳の春、国中に流行した「おかげ参り」の人々が彼の実家の前の伊勢街道を行き交いました。須川村は宿場でもあったために、旅人も多かったことでしょう。



街道に接する実家は、連子格子越しに街道を見渡せたので、お国訛りもにぎやかに行き交う旅人が、武四郎の未知なる国への好奇心をかきたてるのに時間もかからなかったのだと思います。彼は17歳の時、大志を抱いて蝦夷地調査・探検のための長い旅に出たのです。



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武四郎の蝦夷地調査・探検は、第1期(1845~1849年)と、第2期(1856~1858年)に分けられます。第1期の頃は蝦夷地が松前藩の私領の時代で、武四郎は私人として探検しました。次の第2期は幕府直轄の時代で、幕府雇いの役人としてでした。



武四郎は持って生まれた頑健な体で1日で60キロ、多い時は80キロを歩き続けて、サハリン(樺太)、択捉、国後にまで自分の足跡をしるしました。その成果として、膨大な著作、地図などを残しました。そこには、先住民であるアイヌ民族への共感と、彼らを搾取しようとする和人に対する彼の激しい憤りが見てとれます。



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現在、北海道内、ロシア・サハリン州を含めて武四郎の記念碑が60近く建立されており、武四郎の実家近くにある松浦武四郎記念館の入り口の床には、彼の著作である「東西蝦夷地山川地理取調図」が刻まれていて、それは彼がいかに健脚だったかをしのばせています。

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