そして男は時計を捨てた・・・

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頼朝の命をつなげろ! 平家打倒の兵

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1180年、源氏の源頼朝は伊豆で平家打倒の兵を挙げました。地方代官であった目代の屋敷を襲った後に、現在の小田原市にある石橋山に陣を敷いたのです。軍勢は約300騎でした。しかし、敵であった平家軍はその10倍の3000騎。あえなく源氏軍は敗退してしまい、隣接する湯河原の山中を逃げ回ることに!



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その際に身を潜めたとされる場所の1つが、しとどの窟(いわや)という大きな岩のくぼみでした。



しとどの窟は今も湯河原の北の山に存在し、湯河原から箱根へ向かう椿ライン沿いの椿台から、城山隧道を抜け、つづら折りの急坂を下ると見えてきます。うっそうとした森の中で、断崖をえぐり取ったように窟が大きく口を開けています。



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頼朝たち数人が身を潜めるには十分な広さがあり、当時の湯河原一帯は土肥郷といって豪族だった土肥実平の所領でした。実平は石橋山の戦いに出陣して、頼朝の逃走もリ-ドしました。一帯の地形を熟知していた見事な案内役だったといいます。




頼朝ゆかりの場所が点在している城山ハイキングコ-スを歩けば、やがて標高563メ-トルの城山山頂にたどり着きます。ここには土肥実平の城があったといわれ、山頂からは海の上に初島や大島が見えます。実平もここから領地を眺めていたのかもしれません。



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城山山頂から山道を歩いていくと、城堀林道へ飛び出し、ここからは舗装された道になり、急こう配を下っていきます。途中には頼朝が運試しに投げたといわれる立石や兜を置いた兜石もあります。



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急坂を下りきれば、土肥実平の菩提寺である城願寺があります。寺には、土肥一族の墓が奥にある他に、樹齢900年といわれるビャクシンがあります。このビャクシンは土肥実平自身が植えたといわれ、樹勢は今もなお盛んです。実は、湯河原の三大パワ-スポットの一つに数えられています。



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そのビャクシンの脇に立っている七騎堂には、頼朝主従7人の木像がまつられています。頼朝は土肥郷の山中から今の千葉県の安房国へと7人だけで海を渡って、味方を募って再度挙兵します。



そのわずか1ヶ月後に数万の兵を率いて鎌倉へと入るのです。



湯河原で頼朝ゆかりのハイキングコ-スのことを、「鎌倉幕府開運街道」と名付けている理由はそこにあるのです。