そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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ハロウィンの象徴 ジャック・オ・ランタン

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なぜジャックなのでしょうか? いつからカボチャになったのでしょうか?


「ゴースト・ターニプ(おばけカブ)」の名で知られる、1900年代初頭のジャック・オ・ランタンの石こう像。アイルランドのカスルバー近郊にある「アイルランド国立博物館カントリーライフ館」の収蔵品です。(NATIONAL MUSEUM OF IRELAND)
明かりをともしたジャック・オ・ランタン(かぼちゃのランタン)は、陽気で不気味なハロウィン定番の装飾だ。アメリカでは、カボチャを彫ってジャック・オ・ランタンを作ることが秋の伝統になっています。


ジャック・オ・ランタンはどのようにしてハロウィンの装飾になったのでしょうか? そして彫られるようになったきっかけは何だったのでしょうか?


事実とフィクション、儀式や民話が絡み合うジャック・オ・ランタンの誕生秘話を紐解いてみたいと思います。



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丸い果物や野菜で人の顔を表現するという発想は、数千年前のヨーロッパ、ケルト文化に端を発します。紀元前には、頭部を崇拝したり、敵の首を戦利品とする慣習がありました。これらのいずれかが起源だったのかもしれません。中にはとても不気味ですが、切断した敵の首の象徴だった可能性だった可能性もあります。


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この風習は、ケルト人の祝祭「サウィン」によって深く根付きました。サウィンはもともと11月1日に行われていた祭りで、現代のハロウィンにさまな影響を与えているといわれます。サウィンの前日にあたる10月31日には、死者の魂がこの世に戻ってくると考えられていました。さまよう魂を追い払うため、人々は衣装をまとい、ビートやジャガイモ、カブといった季節の根菜に恐ろしい顔を彫ったのです。



しかしそれには実用的な目的もあったといいます。当時、金属製のランタンは高価だったため、人々は根菜をくりぬいて用い、やがて顔などのデザインを施すようになったのです。炎が消えず、穴から光が漏れるように工夫していたのです。




ジャック・オ・ランタンという言葉は、人を指しています。辞書によれば、17世紀のイギリスでは、名前のわからない男性を「ジャック」と呼ぶのが一般的だったのだそうです。例えば、夜警の男性は「ランタンを持ったジャック」、つまり、ジャック・オ・ランタンと呼ばれていたのです。


18世紀のアイルランド民話には、スティンジー・ジャック(けちなジャック)の物語があります。ジャックは悪事と酒が好きな鍛冶屋で、悪魔を2度もだましたと伝えられていて死後、彼は天国はもちろん、地獄からも受け入れを拒否されました。天国と地獄のはざまを永久にさまようジャックに、悪魔は情けをかけ、カブのランタンをともすための燃えさしを与えたのです。これがジャック・オ・ランタンの由来だとする説もあります。



この民話は教訓的な物語としても使われていました。ジャックは2つの世界のはざまに閉じ込められた魂であり、彼のように振る舞えば、同じ運命をたどってしまうという教訓にもなりました。



この民話はイグニス・ファトゥス(鬼火)の説明にもなっています。イグニス・ファトゥスは湿地や沼地に現れる火の玉で、腐敗していく有機物から放出されるガスが発火する自然現象です。こうした火の玉は、旅人から遠ざかる炎のように見えることがあり、光を追い掛けた人が沼にはまり、溺死することもありました。このため、人々はこうした火の玉を、ランタンを持ったジャック、さまよう魂、すなわち幽霊だと考えていたのです。



1930年代にアイルランドに電気が普及し始めると、スティンジー・ジャックの物語は色あせ始めました。電灯が登場すると、多くの民話が力を失い、人々のたくましい想像力もまた失われていったのです。




しかし、そのときすでに、ジャック・オ・ランタンの伝統は新世界に根を下ろしていた。「Pumpkin: The Curious History of an American Icon(カボチャ:米国の象徴の興味深い歴史)」の書籍の中で、カボチャのジャック・オ・ランタンが初めて描かれたのは、おそらく1867年の『Harper’s Weekly』誌だと書かれてあります。


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アメリカ文化にカボチャが浸透したきっかけは、作家のワシントン・アービングが1820年に発表した短編小説「スリーピー・ホロウの伝説」です。この物語のクライマックスでは、首なし騎士が主人公のイカボッド・クレーンにカボチャを投げ付けます。それ以来、二度とクレーンの姿を見た者はいなかったのです。



小説のなかで投げられたのは普通のカボチャですが、その後、首なし騎士は、燃えさかるジャック・オ・ランタンを持つ悪役として描かれることが多く、小説そのものがハロウィンの風物詩となっています。


スリーピー・ホロウの伝説はハロウィンの物語と考えられていて、国際的に有名なホラー小説の中でも最古の部類に入るのです。それ以来、カボチャは恐怖と関連づけられるようになりました。首なし騎士が、カボチャを持っていたからです。



 ハロウィンを祝うアメリカ人が増えると、ジャック・オ・ランタンはハロウィンの象徴となりました。1892年の『Atlanta Constitution』紙には、アトランタ市長の祝福の言葉が掲載されているのです。


「アトランタの社会史に、これほどユニークできらびやかな娯楽は存在しませんでした。カボチャを器用に彫って作られたランタンが、個性的な笑顔を浮かべています」



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ジャック・オ・ランタンの人気は今も衰えていません。米国農務省によれば、2018年のカボチャの収穫量は10億トンを超えました。ジャック・オ・ランタンになるカボチャも多く、その出来栄えを競うコンテスト番組があるほどです。


2020年のハロウィンは新型コロナウイルスに水を差される形となってしまいましたが、細心の注意を払って開催されているパンプキンパッチ(ハロウィン用のカボチャを売っている場所)やフェスティバルもあります。



ニューヨーク州スリーピー・ホロウと隣接するタリータウンは、例年、スリーピー・ホロウの伝説にちなんだイベントをいくつも主催します。2020年は、小説発表から200周年にあたる記念の年だったのですが、イベントの規模は大幅に縮小されました。ただし、手彫りのカボチャ7000個以上のイルミネーションが見られる「グレート・ジャック・オ・ランタン・ブレイズ」は入場者数の制限、チケットの事前購入、ソーシャルディスタンスをとるなどの対策を講じて開催されています。



一方で、ジャック・オ・ランタンの数でギネス世界記録に認定されているニューハンプシャー州のキーン・パンプキン・フェスティバルは「自主開催」に変更され、住民が自宅や仕事場の入り口に作品を飾ることになりました。ジョージア州アトランタでは、ある事業主が、人々に秋の風物詩であるパンプキンパッチを楽しんでもらおうと、家庭や地域にカボチャを届ける「パンプキン・トラック」サービスを提供しています。



自宅でジャック・オ・ランタンを彫れば、昔ながらの方法でハロウィンを祝うことができます。何世紀も前から、人々はそうして秋の夜を照らしてきたのですから😉