そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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1980年12月8日、拝啓、ジョン・レノン 前編

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1980年12月8日・・・拝啓・・・


かつて「カム・トゥゲザー(集まれ)」と歌った声に誘われるように、ニュースを聞いた人々が衝撃と悲しみを分け合おうと集まりました。ビートルズの4人の中でも一番の皮肉屋で、その音楽によって1つの世代を動かし、世界を魅了したジョン・レノンが、彼を崇拝する狂信的な若者によって自宅前で射殺されました。


ニューヨークのセントラルパーク・ウェストと西72丁目の角にあるダコタハウスの前には、涙に暮れた人々が夜を徹して彼の死を悼み、慰め合う姿がありました。


そして同じような光景は全米、いや全世界で見られたのです。ダラスのリーパーク、サンフランシスコのマリーナ・グリーン、ボストン・コモンをはじめ、無数の場所で、年齢や人種を問わず多くの人が集まり、ろうそくに灯をともし、彼の歌を口ずさみました。


「愛こそはすべて」。みんな、雨に打たれながら歌い続けました。


ビートルズの事実上のリーダーだったジョンは、60年代、70年代のポップカルチャーに神のような存在として絶大な影響を与えました。しかし、最近は音楽業界や公の場から姿を消し、隠遁生活を送っていました。



その彼が5年ぶりの新アルバムを携えてカムバックしたのは数カ月前のこと・・・次のアルバムの準備も順調に進んでいました。


「僕はまだ40だ。この先あと40年は創造的な日々がある」。


彼はそう明るく語っていました。しかし、1人の青年によってその夢は叶えられることなく終わりました。レコーディングを終えて妻オノ・ヨーコと共に帰宅した彼の前に、マーク・デービッド・チャップマン(当時25)が立ちはだかり、暗闇からジョンに向けて凶弾を放ったのです。


事件の第1報に世界中が驚愕しました。北米とヨーロッパのラジオ局は通常の番組を中断し、ジョンとビートルズの曲だけを流し始めました。モスクワのラジオ局も彼の曲に90分を割きました。


ショックで取り乱したファンはレコード店へ詰め掛け、ジョンのレコードを手当たり次第に買いあさりました。ボストンのレコード店主は言っています。


「みんな、大事なものを盗まれたように血相を変えていた。失ったものを、何とかして取り戻そうとしていた」


チャップマンは、ジョン・レノンになりたかったのです・・・あれだけなりたかったのに、それなのに、なぜ殺したのか?



彼を殺せと言う「声」を聴いたんだ・・・半年前にサインを頼んだとき、ジョンのサインの仕方が気に入らなかったんだ・・・。警察によれば、チャップマンはそんな供述をしていました。



チャップマンの友人は、彼がジョン・レノンと自分を同一視していたと語っています。いつもビートルズの曲をギターで弾いていて、ホノルルのアパート管理人の仕事に就くとIDカードにジョン・レノンの名をテープで貼り付け、ジョンに倣って年上の日系女性と結婚しました。以前に2度、自殺を試みたこともあったのです。


「彼は自分を殺そうとし、それに失敗したためジョンを殺すことにした」と、ハワイの心理鑑定士は推測しています。


「この殺人は単に自殺が逆転した結果だ」


チャップマンは、ジョンの殺害を何週間も前から計画していたふしがあるのです。10月下旬、彼はビル管理の仕事を辞め、ホノルル警察に拳銃所持許可を申請しています。


彼には犯罪歴がなかったので許可はすんなり下りました。そして10月27日、チャーターアームズ38口径スペシャルを169ドルで購入しました。


同じ頃、チャップマンは過去に何度か高価なリトグラフを購入していた画廊の経営者に電話を入れ、金が必要なので1枚売却したいと画廊に伝えています。


また、彼にビル管理の仕事を紹介した就職カウンセラーにも電話して、「ものすごいことを計画している」と語っています。



チャップマンがニューヨークに着いたのは12月6日の土曜日でした。ダコタハウスまで歩いていけるYMCAに宿を取ったのです。1泊16.5ドルの部屋に。


その日の午後、彼を乗せたタクシーの運転手によれば、チャップマンは、自分はジョン・レノンのサウンドエンジニアであり、今、レコーディングの最中だと語っています。また、ジョンがポールと仲直りし、一緒にアルバムを作ることになったとも話していました。


同じ日、彼はダコタハウスの入り口付近をうろついているところを目撃されていました。そのときは誰も気に留めませんでした。なぜなら有名人が多く住む建物なので、ファンが来ることは珍しくなかったからです。


チャップマンは日曜日にもダコタハウスに現れました。そしてYMCAを出て、シェラトン・センターの1泊82ドルの部屋に移っていたのです。



そして、月曜日の夜、チャップマンはついにジョンを見掛けたのです・・・