そして男は時計を捨てた・・・

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今ここに確かにあるであろう生への問いかけ

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コロナ禍の中で今年の暮れが押し迫り、12月下旬からの急速な感染拡大を受けて、もし濃厚接触者になったら?もし感染したら?もし身近な人にうつしたら?うつされたら?もし重症化したら?そしてもし万一死に至るようなことになったら?といういくつもの「?」・・・心配をしなかった人はほとんどいないと思います。


そうした想像の先にあるのは、あらかじめ準備しておいた方がいいあれやこれや。突然これまでの社会生活が全面ストップとなるかもしれないことに備えて、保存食や生活必需品を買い込んだり、仕事を前倒したりした人もいたかもしれません。


自分にもしものことがあった時に、なるべく人に迷惑をかけないように、できることは今のうちにやっておきたい。誰もがいくつもの「もしも」に晒されるようになった今、「まさか」の時に備える心は確実に広がっているように感じます。



モスクワ国際映画祭を始め、ロシアの数々の映画祭で高い評価を得た『私のちいさなお葬式』(ウラジーミル・コット監督、2017)という映画があります。


この映画は余命が短いことを知った老婦人が巻き起こす小さな騒ぎをユーモアたっぷりに描きながら、最後は思いがけない地点に着地している佳作です。



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冒頭に聞こえてくるのは誰かの心臓の音。次いで神妙な面持ちの中年の医師が、目の前の老婦人に「エレーナ先生」と話しかけます。


ボブヘアにグレーのベレー帽を被り、大きなセルフレームの眼鏡をかけたエレーナ(マリーナ・ネヨーロワ)は73歳。小さな村で長年教員を勤め、今は一人暮らしの彼女がかつての教え子から告げられたのは、いつ機能停止してもおかしくないほど心臓の状態が悪いということでした。


母の不調を聞き、アウディのクワトロを駆って5年ぶりに故郷の村に駆けつける一人息子オレク(エヴゲーニー・ミローノフ)は、都会に出て起業家として成功しており超多忙です。携帯で仕事の指示を出しまくる彼とエレーナとの会話の噛み合わなさが可笑しい。


忙しそうな息子に頼りたくないエレーナは、来るべき自分の葬儀にまつわる一切の準備を、自分一人でやりとげようと決意します。


この「誰にも迷惑かけたくない。全部自分でやっておきたい」という、死を意識した老女の決心は、独居老人の多い現在、痛ましさよりむしろリアルに感じられます。


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親族の葬儀を挙げた人ならよく知っていることですが、「死」は煩雑な手続きを伴います。まず医師が書く死亡診断書、役所の発行する死亡証明書、埋葬許可証などの取得に始まり、棺桶と墓の確保、葬儀の後の食事の段取りなどなど。


そして、死を意識したとたんに急に生き生きと行動し始めるエレーナの、「全部自分で前もって準備」という真面目さが徹底されることで、ドラマは実にシュールでコミカルな展開となっていくのです。



各種証明書をもらいに行った村の役場の女性職員との会話は、まるでコントのように。鳩が鉄砲玉を喰ったような女性職員の顔。あくまで真剣なエレーナ。


遺体安置所にやってきた「エレーナ先生」のたっての頼みを、とうとう引き受けてしまう教え子の検視医セルゲイ(セルゲイ・プスケパリス)の、ハラハラするような一芝居も笑えます。


何十年経っても「エレーナ先生」と呼び、教えられた詩をそらんじてみせる年とった教え子たち。やんちゃそうに見えて親切な隣の少年パーシャ。そして、口が悪くてややお節介だが、情にもろい友人リュドミラ(アリーサ・フレインドリフ)。



生き生きした「田舎のおばちゃん」感を醸し出しているリュドミラとエレーナとの、長年の付き合いを感じさせるやりとりは、どこを切り取っても面白く、終盤の2人の笑うに笑えないドタバタ劇には、思わずホロリとなってしまいます。


1963年の日本のヒット曲、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』のロシアバージョンが、エレーナの青春時代の曲として流れるのにも、じんと胸を突かれ
ます。


しかし、彼女を取り巻く環境は暖かなものばかりではありません。自然は豊かですが、どこか打ち棄てられたようなムード漂う活気のない田舎町。


エレーナやリュドミラの住まいは、少なくとも半世紀以上経っていそうな古びた木造、家の前の道はいつもぬかるんでいます。


息子オレクが置いていったお札を、ハンカチに包んだわずかばかりの貯金に重ねてしまうシーンでは、彼女が決して余裕のある老後を過ごしているのではない様子も見てとれます。


暇そうなヤンキーの若者と、身を持ち崩した中年のアル中。その1人であるナターシャ(オリガ・コジェヴニコワ)は、「生き方を教えてよ、先生!」とエレーナに絡みます。すべての教え子に慕われているわけではないのです・・・


今は酔いどれのホームレスとなってしまったナターシャですが、かつてはオレクの恋人だったのにエレーナの反対で結婚できなかったとわかるあたりから、その背景が気になってきます。



都会に出られず未来のない閉塞的な田舎町で、道をどこかで踏み外してしまったナターシャ。彼女は、階層差が拡大していると言われるロシア社会の、忘れられた貧困層を象徴しているのでしょうか。今はエリート向けの自己啓発セミナーで金儲けを説くようになったオレクとは、真逆の存在です。


だからこそ、オレクとエレーナに笑顔でかける「誰も恨んでないよ」という彼女の言葉が、強烈な皮肉として響きます。



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もう1つ、このドラマで重要なモチーフは、冒頭近くにエレーナが釣り人から押し付けられる鯉です。そもそもこの作品の原題は「解凍された鯉」といいます。


大きな洗濯桶の中、立派な体躯と頑丈そうな頭部をもち実に悠々としている鯉の映像が、たびたび挟まれます。


一旦冷凍庫に入れられるも解凍したら生き返って泳ぎ出した鯉を、早晩死ぬ予定のエレーナがペットのように大事に飼うというのは、よく考えてみると矛盾に満ちた行為です。


毎日毎日一つの命を見つめることが、彼女の日々に小さく灯った生きがいとなっていたのは確かであり、鯉とともに解凍されたのは実は、エレーナの言動に反して、「生」への希求なのかもしれません。


そして鯉は、資本主義の原理に覆われた世界の「外」にある生を象徴しているのかもしれません。その意味は、終盤にわかに巻き起こる鯉をめぐるひと騒動と、オレクの驚くべき行動によってくっきりと浮かび上がります。



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まるで老母と息子の神話のように象徴的な光景と走馬灯のように巻き戻されるエレーナの生涯・・・


深く複雑なその余韻が、いつまでもいつまでも心を捉えて離さないのです。