そして男は時計を捨てた・・・

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カラ-アニメ-ションの源流をたどる

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現代では映画やアニメ-ション、古くは影絵などの光を用いた娯楽は、いつの時代も人々の心をつかみ愛され続けています。



遠い昔、江戸時代から大正時代にかけて島根の出雲地方では、「大垣の影人形道具」というものが上演されていました。



「影人形」は、一般的には聞き慣れない言葉でしょう。幻灯機(スライド映写機)を使用してスクリーンに映像を映し出し、動きを付けて上映した幻灯のことをいいます。



幻灯は欧州で生まれ、18世紀に日本へ入ってきました。江戸時代の人々は初めて見る動く影絵(幻灯)に感動し、江戸では「写し絵」、関西では「錦影絵」と呼ばれて、寄席での人気の出し物となっていきました。



「影人形」とは幻灯の出雲地方での呼び名だったのです。



この「大垣の影人形道具」は、1820年頃に現在の島根県松江市大垣町の土島という人が浄瑠璃修行のため京都へ行き、そこで道具一式を買い求め帰郷したと伝わります。いくつの時代を経ても改変されることなく使用され、道具一式がそのまま現存する全国でも最古級の資料であり、現在、松江市の有形民俗文化財となっています。



大垣の影人形は「幸七かげ」と呼ばれていて、幻灯機本体を持って映写する者が2、3人、三味線と浄瑠璃の弾き語り、唄うたいなど数人で座を作り、農村を中心に興行して回りました。



幻灯機を持って動かし、種板(彩色したガラス板)の交換や種板の動く仕掛けによって、スクリーンに映った像が大きくなったり、人の手足が動いたりと、それはカラ-アニメ-ションの源流といえるものでした。



当時、松江にいた小説家小泉八雲も幻灯を興味深く鑑賞してして、八雲は自らの著書の中でこう書いています。



「大きな建物の中で催されている幻灯を見に行った。日本の幻灯は決まって芝居がかっている。セリフは後ろで語られ、登場人物や背景の部分が、映像になっている・・・」



見た幻灯のあらすじや演出、観衆のどよめきまでもを詳細に記録しています。



このように、明治時代に大流行した幻灯でしたが、映画の出現によって幻のように消えてしまい、やがて人々の記憶からも消え失せてしまったのです・・・