そして男は時計を捨てた・・・

ブログ「そして男は時計を捨てた・・・」は、 みなさんの知らなかった知識や情報入手をお手伝いしていきます。ぜひこのブログを活用して、みんなで勉強していきましょう!画像のないテキスト中心のブログです👍毎日、記事更新中!土、日は更新多めです。たくさん更新するよ😚いろんな人たちにシェアしていってください👍1万記事を目指してひとり編集長はがんばります❗編集長と一緒に冒険しよう😊 

アフガニスタンの過酷な国技「ブズカシ」に挑む男たちの物語

f:id:Cupidpsyche:20210522093748j:plain



馬に乗って子牛の死骸を奪い合うというアフガニスタンの過酷な国技ブズカシ。ペルシャ暦の新年である「ノウルーズ」。


今、まさに一人の男がその国技に挑もうとしています・・・



競技場にその男カイバル・アクバルザダ氏が現れます・・・彼はこの国技ブズカシの有名選手なのです。目ざとく気づいたファンの間から、うねるようなざわめきと歓声が沸き起こります。立派な体格のカイバル氏は、力強い動きでひと息に馬の背に乗り、一気に駆け出します。



時は2020年12月初旬の金曜日、アフガニスタン北部の都市マザーリシャリーフ。


カイバル氏が参加しているのは、アフガニスタン伝統の国技「ブズカシ」の試合です。大きな試合は冬の間、金曜日の礼拝後に行われます。アフガニスタン北部の全域から集まった80人ほどの選手たちは、今、馬に乗って競技場の中央にひしめき合っています。泥とうめき声で埋め尽くされたこの中のどこかに、目指すべき「ボール」があるのです。そのボールとは、頭部を切断し、内臓を抜いて縫い合わせた子牛あるいはヤギの死骸です。



この競技のゴールはシンプルですが、それを達成するまでの道のりは厳しく険しいのです。得点を上げるには、騎手は死骸の「ボール」をつかんで、フィールドの端にある旗の周りをまわってから、それをチョークで描かれた円の中に落とさなければなりません。


規範は存在し、反則行為は冷ややかな目で見られますが、敵対する騎手同士は、相手がボールを円の中に落とすのを妨害するためなら、ほとんど手段を選びません。



タリバンがこの国を支配していた1996年から2001年にかけては、ブズカシをはじめとする数多くの娯楽が「不道徳」なものとして禁止されていました。タリバン政権崩壊から20年、国技は復活しましたが、米軍が兵力を縮小しつつある現在、再びタリバンの影響力が増しつつあるのです。


この国の半分近くがタリバン支配下、あるいは支配権を争っている状態にあり、政府が掌握している地域でも、タリバンは標的を絞った暗殺を行い、道路や集会を爆撃して恐怖を煽っているのです。



事実、カイバル氏(騎手はファーストネームで呼ばれるのが一般的)が北部の都市クンドゥズから、試合が行われるマザーリシャリーフまで車で移動するのに、普段の3倍に当たる10時間かかっています。それは、高速道路で銃撃戦があったためなのです。



カイバル氏は、有名なブズカシ選手の家系に生まれました。彼のおじは、クンドゥズ州出身のチャンピオンで1970年代には国中に名を知られていましたが、内戦の間に待ち伏せ攻撃によって殺害されました。過去40年間の戦争で命を落とした親戚たちは、14人にものぼるといいます。



2015年、タリバンが一時的にクンドゥズの街を制圧したときには、カイバル氏の家族は2週間、地下室に潜んでいたこともありました。戦闘は徐々に激しくなり、米軍の空爆が地面を揺らしました。それ以来、タリバンは勢力を回復して周辺の田園地帯の多くを掌握し、暴力は日に日に悪化していきました。



この日の試合が次第に激しさを増す中で、カイバル氏はなかなか自分のリズムをつかめずにいました。地元の支援者が用意してくれた馬は予想よりも小さく、カイバル氏の体格や強気なプレースタイルには合わなかったのです。



さらに彼は、サマンガン州から来た5人兄弟の選手による妨害を受けていました。カイバル氏が子牛をつかもうとすると、兄弟のうち2人がカイバル氏の馬の脇腹を激しくむちで打ちます。馬をよろめかせる度に観客からヤジが飛びます。



混戦が10分近く続いたころ、一人の騎手が子牛を持ち上げて自分の脚の下にしっかりと固定し、得点を上げました。騎手は観客席に上がり、賞金の500アフガニ(約680円)を受け取ります。次のラウンドはすでに始まっていて、このサイクルが日が暮れるまで繰り返されるのです。



ブズカシ(アフガニスタンのほぼ全域で使われているペルシャ語の一種、ダリー語で「ヤギつかみ」の意)がどのように誕生したかについては、はっきりとしたことはわかっていません。



広く信じられているある説によると、この競技は数世紀前、モンゴルからの侵略者たちの戦闘訓練として進化したものだといいます。


現在、ブズカシは中央アジア全域で、多少ルールを変えた形で行われています。キルギスとカザフスタンではチーム形式で、子牛やヤギを高い位置に設置されたゴールに向かって放り込むことを目指し、中国西部では、乗り物に馬ではなくヤクが用いられます。



ブズカシという競技を象徴する人物といえば、アフガニスタン軍元帥アブドゥル・ラシード・ドスタム氏です。


ウズベク人であり、採油労働者から民兵司令官に転身したドスタム氏は、まず1980年代に米国の支援を受けたムジャヒディン(イスラム系反政府ゲリラ)と戦い、その後、イスラム急進派や、内戦時にはタリバンと同盟を結んだ後、さらに鞍替えして北部同盟に参加しました。北部同盟は米国と協力して、2001年にタリバン政権を打倒。ドスタム氏が米軍のグリーンベレーを率いて騎馬隊で突撃した話はよく知られています。



戦後、ドスタム氏と、また別の大物軍人であるタジク人のモハマド・カシム・ファヒム氏は、国内に流れ込んだ米国など諸外国からの復興資金の一部を利用して、ブズカシの最大のパトロンとなりました(ファヒム氏は2014年に死去)。



彼らは騎手や施設に大量の資金をつぎ込み、中央アジアの国々から優秀な馬を調達して、戦争で壊滅的な打撃を受けたアフガニスタンの馬を補充しました。



試合では過酷な扱いを受けるものの、ブズカシに出場する雄の馬はその気迫を高く評価されます。競技場での成功を左右するのは「馬が8割、騎手が2割」と言われ、大手スポンサーからは1頭に約740万~1000万円近い高額なギャラが支払われることもあるといいます。



ドスタム氏もファヒム氏も、それぞれ自分が属する民族に影響力を行使するためにブズカシを利用しました。2016年には、ドスタム氏が自身の権力基盤である北西部の都市シェベルガーンで行われたブズカシの試合で、公然と政敵に暴行を加えたこともあったのです。

しかし、ブズカシはむしろ、市民に利益をもたらすものとして活用される場合の方が多いのです。ブズカシは無料の娯楽を提供するだけでなく、ドスタム氏らによる選手への投資や賞金の提供は、より良い競争を促しました。試合に勝利した者には、多額の米ドルと、ときには新品のトラックが与えられることもあったのです。



ところが、シーズン開始からすでに1カ月以上がたっていた2020年12月の時点で、シェベルガーンでは、タリバンの復活によって多くの選手が遠征できなくなったために、まだ試合が行われていませんでした。


ドスタム氏はどうやら、混乱が起こっている地域でタリバンと戦っているらしいと噂され、主要な競技場もいくつかタリバンによって閉鎖されていたのです。



養わなければならない家族を抱えて、プレーできる場所も減った北部のトップ選手たちにとっては、完全に政府の管理下にある北部地域最大の都市マザーリシャリーフは、今もブズカシの中心地です。



マザーリシャリーフでの金曜日の試合において観客からの信頼を取り戻したのは、カイバル氏のライバルで、ベテランのチャンピオン、グルブッディーン氏です。


試合後半、何度か得点を重ねた後、サマンガン州の兄弟からの妨害を受けながらも、グルブッディーン氏は、最高額の賞金がかかった最終ラウンドで見事に最高のゴールを決めて見せました。



試合後、グルブッディーン氏のスポンサーであるアイラキ氏の自宅で夕食会が開かれ、アイラキ氏が大きな部屋の中央に置かれた金箔を貼った椅子に座り、カイバル氏を含む6人の選手とその付添いたちは、敬意を表すために床の上に座ります。ライバル同士ではあっても、グルブッディーン氏とカイバル氏は、競技場の外では互いに友好的に接しているのです。



アイラキ氏は、ブズカシの試合での反則行為の増加は、この国全体が無法地帯になりつつあることの表れだと考えています。


使用人がラムとプラーオ(レーズンとニンジンが入った香ばしいご飯料理)が山盛りになった皿を配ると、試合の録画が再生され、サマンガン州の兄弟の反則プレーが映し出されます。選手たちが非難の声をもらし、頭を横に振ります。一人の男性が立ち上がり、その兄弟の行いをソーシャルメディアにさらすために携帯電話で録画を始めました。



「スキルは必要不可欠ですが、最も重要なのはモラルです」と有力選手のサルワル氏は言います。



「試合の場にいる人たちは皆、人柄を見ています。だからこそ、だれもがグルブッディーンのことが好きなのです。彼は真のチャンピオンです」



翌週の金曜日、カイバル氏はアフガニスタンの首都カブールに姿を現しました。再び10時間以上車を運転し、タリバン支配地域やヒンドゥークシュ山脈を越えてきたのです。それでもカイバル氏は上機嫌です。



今回、彼が乗る馬が強いのは間違いないようです。彼のスポンサーであるカイス・ハッサン氏は、元国会議員の裕福な不動産開発業者で、資金を惜しみなく投入してアフガニスタンで最高レベルの厩舎を建設しました。



ブズカシは、カブールの街の北部にある壁に囲まれた狭い競技場で行われます。試合が始まるとすぐに、赤い上着を着た地元の騎手たちが、ここが誰の縄張りかを見せつけようと、がむしゃらにカイバル氏に突進してきます。子牛に近づくたびに、敵の群れがカイバル氏をのみ込み、上着や腕を引っ張り、攻撃を加えます。これは明らかに露骨な反則行為です。



カイバル氏はなんとか2度得点を上げ、警察官や退役軍人、汚れた服を着た子供たちが混ざりあった群衆を沸かせます。


しかし、道を切り開いてくれる味方が少ないカイバル氏には、そこまでが精いっぱいでした。試合終了間近、カイバル氏は最後にもう一度敵を突っ切ろうとしたところで子牛を奪われてしまったのです。赤い上着を着た地元の騎手がそれを抱えて逃げ去り、ほとんど誰も邪魔する者がいないまま得点を上げました。



観客席の片側では、二重あごのタジク人司令官が友人たちと笑い声を上げています。その向かい側では、カイス・ハッサン氏が不機嫌そうに顔を歪めます。カイバル氏は国のトップ騎手の一人であり、それにふさわしい馬もいますが、それだけでは圧倒的な人数の敵と反則行為には太刀打ちできないのです。



ハッサン氏と友人たちは、すぐに自分たちでブズカシの試合を開催して、負けを取り戻すことにしました。赤い上着を着たあのカブールの騎手たちも、中部地方の有力選手たちも招待されます。



4日後、カイバル氏と、ハッサン氏の息子ファイサル氏と私は、装甲SUVの車列の一台に乗り、カブールの交通をかき分けるように走っていました。前後には武装したボディーガードが乗り込んだ2台のピックアップトラックが配されています。



南西へ1時間ほど走った不毛の高原で、騎手たちがウォーミングアップをしています。ハッサン氏と友人たちは、岩場の上に敷物を敷いて見物しますが、赤い上着の騎手たちの姿はほとんど見えません。おそらく、自分たちに有利な展開にはならないと感じたのでしょう。



カイバル氏が、試合開始早々得点を上げます。グルブッディーン氏がすぐに反撃したかと思うと、カイバル氏が再び攻撃を仕掛けます。仲の良い兄弟のようなライバル同士の闘いが続きます。グルブッディーン氏が最終ラウンドを勝ち取り、ハッサン氏は大いに喜びました。



カイバル氏は、この日の試合最多の7得点を挙げました。噂では、ドスタム氏が次の週、シェベルガーンでのシーズンを開始すると言われていますが、人々の受け止め方は複雑です。



カイバル氏が前回、シェベルガーンに向かう高速道路を通ったときには、タリバンの検問所を通過しなければなりませんでした。とはいえ、ドスタム氏が主催する試合となれば、多額の賞金が出るのは確実です。そしてカイバル氏は、試合を辞退するような性格ではありません。



「人々は、リスクをものともせずにどこへでも行ってプレーをするチャンピオンに夢中になるのです」



クンドゥズの自宅までの長いドライブを前に、車に荷物を詰め込みながらカイバル氏はさらにこう続けたのです。



「私はすべての州へ行き、最高の選手たちとプレーをしたい。それが私の夢であり、その夢は、今まさに実現しつつあります」