そして男は時計を捨てた・・・

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アメリカの影に光を当てた伝説のフォトグラファ- ロバ-ト・フランク

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アメリカに伝説のフォトグラファー、ロバート・フランクという人がいました・・・



その写真家は、50年代アメリカの理想ではなく、そのリアルな姿にレンズを向け続け、出版当時は「反米的」として批判を浴びた作品集『The Americans』は、20世紀における写真表現の金字塔となりました。



「私の写真を見た人には、好きなように感じ取ってほしい。そして、二度読み返したくなる詩に出合ったときのような感覚を味わって頂きたい」



世代を超えて世界中で支持され続ける写真家、ロバート・フランクは、モニュメンタルな作品を後世に残し、2020年9月、自宅があるカナダのノバスコシア州で94年の人生の幕を閉じました。



1924年にチューリッヒでユダヤ系スイス人の家庭に生まれたフランクは、23歳でアメリカに移住し、『ハーパース バザー』でアシスタントとして働いた後、『VOGUE』を含む多くのファッション誌でフォトグラファーとして活躍しました。



その後、’30年代を代表する写真家エドワード・スタイケンの知遇を得てグッケンハイム奨学金を手にした彼は、’55年から2年かけて、アイゼンハワー政権下で激変するアメリカ全土を旅しながら、リアルな社会をカメラに収め続けたのです。



そして’58年、一連の作品をまとめた問題作『The Americans』をフランス、そしてアメリカで出版しました(序文を寄せたのは、ビート・ジェネレーションを代表する作家、ジャック・ケルアック)。



’72年、ある写真雑誌のインタビューに答えた彼は、こう振り返っています。



「この写真集は出版当時、反米的だと酷評されました。しかし時が経つとともに、若い写真家たちの心に響き始めたのです」



フランクが撮影した第二次世界大戦終結後のアメリカでは、アメリカンドリーム神話が実現したかのごとく国家の繁栄が賛美される一方で、公民権運動の萌芽が見え始めた時期でした。




そんな中で彼が切り取ったのは、理想に駆り立てられたアメリカの影としての孤独感です。それはほかでもないフランク自身が移民として抱いていた感情でした。



35ミリのライカで撮影されたモノクロ写真は、人々の空虚な瞳、白人の赤子を抱く黒人女性など、アメリカの物質的繁栄とは真逆の姿を繊細な構図で捉え、物議を醸しました。




「私の目標は、『この写真はロバート・フランクのそのもの』と呼ばれる個性を手に入れることでした。そしてNYは、その夢を叶えてくれました。初めてタイムズスクエアに立った時、直感的に、そしてシンプルに、自分が捉えるべき時代の変動を肌で感じたのです」



この写真集の表紙に使われたトロリーバスに乗った人々の写真では、バスの前列に白人男性、次に白人女性、その後ろに子ども、そして後列に黒人男性が座っています。



今では誰しもが違和感を覚えるだろうその一枚は、当時の人種差別問題に一石を投じたのです。



また、はためく星条旗が印象的な「パレード」という作品は、パレード自体ではなくそれを窓から見つめる2人を写したものです。



左側の人物はブラインドで顔が隠れ、右の人物も国旗の影に隠れているのです。どこか「支配」という言葉を連想させるこの奇妙な光景は、アメリカという国に対する異なる視点を与えてくれます。



「写真は必ず人類の一瞬を捉えていなければならない。これはリアリズムです。でもリアリズムだけでは不十分で、そこにはビジョンがあるべきです。この2つが合わさって、ようやく私の写真は完成するのです」



視覚的に鮮やかで豪華な芸術作品が大衆的人気を誇った時代に、フランクはスナップ写真に宿る本質を追求しました。



それは「スナップショット・エステティック」と呼ばれ、既存の価値観を覆す新たなアート表現として確立されていきました。そして、同時代を生きた芸術家エド・ルシェやミュージシャンのルー・リードといった時代の寵児にも影響を与えました。発売当初は600部しか売れなかった本作ですが、20世紀の写真史に大きな変革をもたらした金字塔となったのです。



しかし、本作刊行直後の‘59年以降は約10年間も写真から離れ、映画製作に没頭しました。監督デビュー作となった『プル・マイ・デイジー』(’59年)では詩人アレン・ギンズバーグなどビートニクの旗手たちを、また『コックサッカー・ブルース』(’87年)ではローリング・ストーンズの北米ツアーを記録するなど、時代のカウンターカルチャーをそのフィルムに焼き付けたのです。



また、飛行機事故で亡くした娘アンドレアを偲んで、’95年には若手芸術家やアート教育を支援する「アンドレア・フランク財団」を設立し、後進の育成にも情熱を燃やしました。



2009年には、“世界一美しい本をつくる”と称されるドイツの出版社、Steidlとともに、すべての写真と映像作品を集めた「Robert Frank Project」が始動し、’15年には彼の人生を綴ったドキュメンタリー映画『Don’t Blink ロバート・フランクの写した時代』(2015年)も公開されました。



こうして写真界の伝説となったフランクは、’15年、『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで、彼をレンズに向かわせる理由をこう述べています。



「私の母は『なぜ貧しい人の写真ばかり撮るの?』とよく尋ねてきました。それは事実ではありませんが、困難の中にいる人たちに共感を寄せていたのは確かです。そして、ルールをつくった人に対する疑念も」



そう言った写真家はもうシャッタ-をきることは二度とないのです・・・