そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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若者よ、海外へ出よ! 残されたメッセ-ジ

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2021年6月6日に85歳で亡くなった根岸英一さんは、持ち前の明るさと米国仕込みの楽天主義が持ち味でした。夢を持ち続けることの大切さを繰り返し訴え、内向き思考の日本の後輩らに「若者よ、海外へ出よ」とエールを送り続けました。



根岸さんが新しい可能性を探して渡米したのは1960年のことでした。後に恩師となるハーバート・ブラウン博士の講演を聴き「この人はノーベル賞を取る」と直感して門をたたいたのです。



予感は的中しました。1979年にブラウン博士がノーベル化学賞を受賞した際には授賞式に同行。自身も目標として、ノーベル賞を強く意識するようになったといいます。



ブラウン博士の口癖は「教科書に載るような研究をしろ」。その言葉に共感し化学の面白さに目覚め、研究に没頭したのです。



1977年、後に「根岸カップリング」と名付けられる効率的な化学合成法を編み出しました。化学反応を促進するための触媒にパラジウムを選び、分子同士が手をつなぐ目印として亜鉛を選んだことが成功に結び付きました。



2010年10月にノーベル賞の受賞が決まると、長年の夢の実現を喜び「ブラウン先生がノーベル賞委員会に推薦してくれたと彼自身から聞いた」と恩師に感謝し、「ノーベル賞の確率は1000万分の1と大変低いが、節目節目でその確率を一歩ずつ高めていけばいい」と、自分のやりたいことを見つけることの大切さを説いたのです。



受賞後は、インタビューなどで米国にいる若手研究者に日本人が少ないことを指摘してきました。「たとえ優秀でなくても、一定期間、日本を外から見る期間があることが重要。日本は非常に居心地のいい国だから」と海外での研究を訴え続けました。



米国を拠点としながら、日本にもたびたび帰国し、「ブラウン先生は、米国籍がないとノーベル賞には不利だと言っていたが、私にとって祖国は一つ」と日本への深い思いを打ち明けていました。



「生涯現役でやりたい。120歳ぐらいまで生きたい」と生前は周囲に冗談めかして語っていたといいます😊



根岸さんが残したメッセ-ジが若者たちに届くことを願います👍



「若者たちよ、海外に出よ!」 by根岸英一