そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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昭和の飛行機はタバコ吸い放題の喫煙天国だった・・・

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飛行機に乗ると頭上に「禁煙マーク」が常時点灯しています。飛行機で煙草なんてありえないでしょ!そうでしょ😡なんでこんなの付いてるの?というのが今の感覚ですが、昭和の飛行機はタバコ吸い放題の喫煙天国だったのです😰




飛行機の「禁煙化」が進んできたのは1980年代後半からのことです。全日空は1986年10月に、それまで各機種ともに25%だった禁煙席の数を40%まで拡大しました。日本航空は1987年4月に国内線の約50%を禁煙席としました。




以前の禁煙席は、座席の真ん中の列に禁煙席を設定し、プラカードを置いただけのものだったのです。つまり、横に7席並んでいたら、真ん中3つが禁煙席のイメージと考えてください。




現代の喫煙スペースは裏口や眺めのよくない隅に追いやられがちですが、当時はまったくの逆、景色が見えて人気の窓側席が喫煙可だったのです。ヒョエー😱




しかし、これだと真横の客は吸いませんが、通路を挟んだ向こう側は吸いたい放題の喫煙天国!!もちろん煙は流れてくるのですから、「禁煙席」といっても効果はお察しですよね😭




それが、ようやく「分煙」らしくなってきたのが、1986年?87年のルール変更だったのです。ここでようやく「前半分の座席すべて」といった、一部エリアの禁煙化が実現しました。




当時全日空の行った調査では、禁煙席の増加を求める声は回答数の40%ほど。日航の調査でも「煙は不快😭」が40%となっています。狭い機内で煙にまかれることに苦痛を感じていた人は多かったのです。




国内線の喫煙席がついに消滅したのは1998年のことです。日本航空、全日空、日本エアシステム、日本トランスオーシャン航空、日本エアコミューターの5社が相次いで国内線の全面禁煙を決定し、国内線の喫煙席は消滅しました。




そして、その代替として、各社では機内でのアルコールの販売を開始。これは好評で各社とも拡大していくことになります。
続いて国際線の喫煙席も消えました。1999年4月に日本航空・全日空は全面禁煙を導入し、海外各社も順次禁煙となり、ついに機内からは煙草の煙が完全に姿を消すことになったのです。




しかし、機内の全面禁煙は容易には定着しませんでした。トイレで隠れて煙草を吸う悪い乗客が相次いだのです。1999年に行われた調査では、国内航空会社の客室乗務員の63%が「(禁煙が)守られていない・守られていない時がある」と回答しています。




2000年には成田発シアトル行きの機内トイレで、泥酔した新宿区の会社員の男が喫煙し、飛行機が成田に引き返す騒動も起きています。この時「他の乗客たちからは「日本人の恥だ!」との怒りの声も上がった」とあります。




確かにはた迷惑な話ではあります。「喫煙天国」だった時代から、「日本人の恥」までわずか10数年の出来事。あっという間の意識変革でもあったわけです😅