そして男は時計を捨てた・・・ひとり編集長の冒険

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突撃!貴族レディースのお正月を覗いてみよう!

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カレンダー上の特定の日付になった途端に人の世が急激に変わっていき、何もかもがうまくいくだなんて、誰も信じていないさ!🥺。しかし、新年を迎えた今、妙な期待に胸を膨らませてしまうものです。あれこれ計画を練ったり、ムリな目標を立てたり、つまんないダイエットを決心したり、こうした妄想に取り憑かれること自体が一種の通過儀礼です。




結果的に、その1つひとつの心構えが絵に描いた餅で終わることは非常に多いですが、少なくとも少しの間だけは、「今度こそ!」と気合を入れたくなるのです😅




そこのアナタよ!自らの三日坊主気質をとうの昔から受け入れ、この時期になっても背伸びせず、身の丈に合った形で休日を楽しむことにしていないか😡。こたつにハマってミカンをたべまくる。それは待ちに待った至福のひととき。




そこで、ある思いがふと頭をかすめた。日本の伝統をぐーっと平安時代までさかのぼったなら、みんなはお正月をどう過ごしていたのだろうか、と。多くの傑作を書き残してくれた貴族のレディースたちも、私たちと同じように新しい年に夢を託していたのだろうか・・・と。




軽く目を閉じて、宮中の様子を想像してごらん🤔イマジン。正装した殿上人はみんな朝早くから四方拝に出席。センスを競いながら生きていた平安人は、老若男女それぞれが着飾ってお祝いをしていたのだろう、とその鮮やかな風景が目に浮かばないかい?




赤や紫の柔らかい絹をふんだんに身にまとい、葡萄染めの上着を羽織る素敵な姫君たち。色とりどりの練り模様の裳。動くと裏地の色がちらりとのぞき、山吹色、萌黄色など、組み合わせはどれもこれもオシャレ🥳





女房たちも準備に追われて忙しく行き交い、上達部が彼女らの姿を少しでも見ようとそわそわしている。外を見れば、晴れ渡った空が広がって、雪の間から色づき始めた若草が垣間見える。




しかし、人々も自然も祝祭的なムードに包まれているにもかかわらず、その近くの場所で寂しげな表情を浮かべて、身を潜めているきれいな女性が1人いた・・・そなたは誰?




年かへりて、正月一日、院の拝礼に、殿ばら数をつくして参り給へり。宮もおはしますを、見まゐらすれば、いと若う、うつくしげにて、多くの人にすぐれ給へり。これにつけてもわが身恥づかしうおぼゆ。上の御方の女房、出で居て物見るに、まづそれをば見で、この人を見んと、穴をあけさわぐこそ、いとあさましや。



【訳】

冷泉院御所での元旦の拝賀の儀式があり、数多くの高貴な方々が参上する。カレが出かけるのを見ると、抜きん出て若くて、美しくて、他の人々よりもずっと素敵。女はそれが誇らしく思うと同時に、自らのみすぼらしい姿が恥ずかしくなるほどだ。カレの奥さんに仕えている女房たちも出てきて、見物しているが、儀式に行く人をそっちのけで、女見たさに障子に穴を開けて騒いでいるのが、おぞましくて目も当てられない。




こちらは「女」こと、和泉式部のお正月の過ごし方です。春に芽生えて、夏に花咲いた和泉式部と敦道親王の熱い恋は、秋に燃え上り、冬を迎えます。




12月18日に彼女は愛人として宮の邸に迎えられたばかり。大好きな彼と思う存分一緒にいられる反面、肩身の狭い立場に追いやられています。北の方、つまり正妻は、同じ屋敷の反対側に陣取っているからです。





敦道親王は父親である冷泉天皇の御所に向かって出かける準備をし、その姿は誰よりも立派で、知性と品格がにじみ出ています。そんなハンサムな彼をいつまでも見つめていたいが、周りは妙に騒がしい。普段なら憧れの対象である殿上人にしか目がない女房たちが出てきて、とんでもないスキャンダルを引き起こした愛人の顔を覗こうとするのです。




障子に穴をあけるなんて、身分が低いとはいえ、貴族であるはずの彼女らがそんな蛮行に走るとは考え難く、しかし、そのイメージは和泉式部に注がれた、好奇心と嫌味に満ちた眼差しを的確に表現しています。女怖っ😱




北の方もきっと、その状況を見るのがつらかったのでしょう。旦那の浮気相手が家に上がり込んできているし、噂が広まるし、もうたまらないわ😭やっぱり、原則として、誰かと共有している関係は、フェアではないと感じていたに違いありません。しかも、その相手の女もまた、凄腕歌人、魔性の女、絶世の美女として世にははなはだ名高い人です。自分は出る幕がないじゃんか🥲




『和泉式部日記』の特徴の1つは和歌が非常に多いということです。女と宮が一緒にいても和歌を詠み合い、遠く離れても和歌に気持ちを託して相手に届けるのです。しかし、運命の針が動き出した12月18日を境に、和歌がピタリと終わりを告げます。




昔の人にとって和歌は心の窓、心情を伝えるために最も手っ取り早い方法でした。だからこそ、いじめられて、苦しめられた和泉式部はここへ来て塞ぎ込み、和歌を詠むのをやめたのです。そして、散文だけになった語りは、日記でも物語でもなく、まるで現代小説のようなものになっていくのです。登場人物たちの心理が異彩を放ち、独特な感性が行間から読み取られます。




まったくもって新年早々心の寂しさが満ち潮のように、ゆっくりと押し寄せてくるのです🥺




数年後に、同じ時期、正確には師走の29日、別の豪華な屋敷にて・・・そなたは誰ぞや?



しばらく実家に帰っていた紫式部は職場である後宮に戻ってきました。12月の末から1月中旬にかけて、儀式やイベントが相次ぎ、これからのスケジュールがパンパンではち切れそう😅。お祝い事といったら聞こえはいいですが、宴会は嫌なことも少なくありません。




だって、酔っ払った男たちが絡んでくるし、急に和歌を詠んでみてと言われるし、『源氏物語』の続きを教えてよぉ〜とよくつきまとわれるから!パーティーガールではない式部にとって楽しいというより、正直ちょ〜面倒くさいのです😮‍💨



しかも、戻ってきたものの、中宮にも会えずしょんぼりぎみ😞




夜いたうふけにけり。御物忌みにおはしましければ、御前にもまゐらず、心ぼそくてうち臥したるに、前なる人々の、「うちわたりは、猶いとけはひ異なりけり。里にては、いまは寝なましものを。さもいざとき履のしげきかな」と、色めかしくいひゐたるを聞く。
年暮れてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな
とぞ独りごたれし。



【訳】


夜もだいぶ深まってしまった。中宮様は物忌みなので、挨拶にもいけない。心細く横になっていると、前にいる女房達たちが「宮中はやはり違うわね~。自分のお家だったら、今ごろじゃみんな寝ているじゃない?こっちにいたらさ、寝付けやしないほど殿方の靴の音がひっきりなしに聞こえてくるもの!」といやらしく話しているのを聞こえる。
年が暮れて、また一つ老けてしまった。吹きすさぶ風の音を聞けば、心の中は寒々としているよ……と独り言のように呟いた。




この時点での紫式部はまだ仕事に慣れておらず、悩み事も多かったのです。趣味として書き始めた『源氏物語』が人気沸騰中で、その噂を聞きつけた藤原道長が彼女の文才を買い、娘の彰子の家庭教師として抜擢しました。しかし、周りにはピチピチの女たちばかりで、場違いの自分を憐れんだのです。




大晦日が近づいているので、後宮はなお一層華やかです。男どもは好きな女性の愛撫を求めて、行き来し、その浮かれた足取りの音が暗闇の中に響き渡ります。耳をそばたてる女たちは、その靴が向かう先を想像しながら、いつか自分も愛されることを信じて、胸をときめかすのです🥺




冬の夜は特に、遠い音がよく聞こえます。そのせいか、紫式部は女房たちの楽しいしゃべりや男たちの通り過ぎる足音より、屋敷の外で吹き募る冷たい風の方が気になるのです。




「わがよふけゆく」は、夜更けと我が身の衰えが掛詞になっていて、おまけに年の暮れという文脈で詠まれている歌なので、時間の経過が強く意識されていることが明らかです。夜が更ける時間と自分自身が老けていく時間は大して変わりはなく、あっという間です。そして、目に見えない風の音が、過ぎていく人生の一刻、一刻を刻んでいるのです。



そう、紫式部の心中は荒涼としているのです🥺



ところが、この歌が誕生したのは、あの不朽の名作、『源氏物語』を執筆中で、まだ30代に差し掛かった頃だったと知れば、複雑な気持ちにもなります。な〜んだ、人生はこれからだよ〜ん🤪、とエールを送ってあげたいです。



また少しだけ時間を巻き戻して、今度は登華殿のなかをのぞいてみます。アンタ誰や?



そこには紫式部が仕えていた彰子のライバルであり、従姉妹でもある定子が住んでいたらしいのです。



奥ゆかしくて控えめな彰子と違って、定子は華やかで、明朗快活な性格の持ち主でした。そして、彼女が主宰していた文化サロンに出入りする女房たちもみんな、優れた才能と美しい容姿の両方を持つ社交界の強者ばかりです。その周りは普段から明るい雰囲気だったと思われますが、お正月となるとなお賑やかだったのでしょう。





イベントの準備に取り掛かる女たちの会話が弾みまくり、物音と笑い声があちらこちらから漏れてきます。みんながてきぱきと働いていますが、そうしたなか1人の華奢な女性が一瞬だけ立ち尽くします。彼女は降ろされた簾の隙間から外に視線を投げて、いつまでも広がる澄んだ空の美しさに見とれているようです。




正月一日はまいて空のけしきもうらうらとめづらしう、かすみこめたるに、世にありとある人はみな姿かたちことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたるさまことにをかし。



【訳】


正月一日は空も一層うららかに新鮮な感じで、たちこめる霞まで清らかに感じる。ありとあらゆる人はいつもよりきれいに着飾り、相手のことも自分のこともお祝いなどする。そういう雰囲気は本当に好きだ!




こちらは清少納言が簡潔にまとめたお正月の描写です。



「めずらし」は「清新、新鮮」というような意味合いを持っている形容詞ですが、1月1日のうららかな様子が、清少納言本人の心持を反映しているものでもあります。




作者の目が透き通った空から、着飾っている人々へと素早く移り、最後は心のなかへと静かに降りてくるのです。とても短い文章の割に、躍動感に溢れていて、その大胆な動きから、清姐さんがどんだけウキウキしていたかがわかります🥳




和歌の世界において、「霞」は春の訪れの徴とされてきましたが、その季語の登場によって、これからやってくる新しい季節に託された希望もばっちしと表現されています。太陽暦が導入されて以来、お正月の時期に春霞を期待しても無理ですが、平安人の旧暦が日本の詩歌にうたわれている季語とぴったり合っていたはずです。




この文章を通して清少納言の目に映っていた素敵な風景がありありと浮かび上がってくるけれど、やはり元旦は特別な日なのです。




他にも、古典文学の作品のなかでは、お正月はたびたび話題に上ります。




夫兼家にとうとう素通りされてしまう道綱母の悲しい年越しもあれば、特注した着物を愛人の皆さんに配り歩く光源氏のバブリーなお正月もあります。過ぎ去った日々への思い出も、これからやってくる冒険への高揚感も和歌を通して語られ、どの読者でも心の琴線に触れる、自分にぴったりな「古典的なお正月」♥️ハッピーニューイヤー🙂




今年は素敵な年になることを心から願いながら、平安女子の言葉に導かれるがままに、戻れなくなるのを覚悟してもう少し読み進めてみることにしようかな😅



紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)