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帝都を赤い血で染めた「二・二六事件」、青年将校はなぜ「冬の日」に決起したのか? 意外な理由があった


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帝都を 赤い血で 染めた 「二・ 二六事件」、 青年将校は なぜ 「冬の 日」に 決起した のか?  意外な 理由が あった
学術文庫&選書メチエ編集部


 
「国体破壊の元凶」
いまから87年前の1936年2月26日、いわゆる二・二六事件が勃発しました。

 

当時、内部に大きな政治的分裂を抱えていた陸軍、その「皇道派」と呼ばれるグループに属する青年将校が、同日未明に決起。かれらに率いられ、重機関銃や小銃で武装した部隊が、雪のなかを出動しました。



 
 
以下、有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』を参考に、当時の状況を再構成してみます。


 
いくつかに分かれた部隊は、天皇の最側近である鈴木貫太郎侍従長の官邸、首相官邸、警視庁、陸相官邸、天皇を輔弼する内大臣・斎藤実私邸、陸軍の教育をつかさどる教育総監・渡辺錠太郎私邸、大蔵大臣・高橋是清私邸などを目指し、午前5時ころには襲撃を開始します。

 

 

かれらは、「元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等」を「国体破壊の元凶」としていました。大雑把に言えば、政治に関わる権力者がさまざまな問題の元凶となっているととらえたうえで、それらを排除し天皇親政(天皇がみずから政治を行うこと)を実現すれば、日本はよくなるという発想を持っていたのです。

 

 

この襲撃によって斎藤内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監が死亡し、鈴木侍従長は重傷を負いました。岡田首相は、たまたま顔が似ていた妹の夫で秘書官の松尾伝蔵大佐が誤認されて殺害されたことで、自身はからくも難を逃れることができました。

 

 

決起した1480人を超える部隊はその後、首相官邸や陸軍省などが集まる東京の麹町・三宅坂一体を占拠するに至ります。かれらは4日間にわたって一帯を占拠しますが、頼みの綱として思いをかけていた昭和天皇は、速やかに青年将校たちの叛乱を鎮圧せよとの指示を出します。結局、決起した各部隊のメンバーには、もともと所属していた原隊に帰順せよとの説得がなされ、青年将校の幹部は逮捕され、二・二六事件は終幕を迎えました。

 

 

その後やがて、事件の計画、立案に関わった17人は、死刑となりました。死刑になったなかには、青年将校への思想的影響を強く与えた存在として、思想家の北一輝や西田税も含まれていました。

 

 

乱暴を承知で時代を現代に移し替えて考えてみると、自衛隊の一部のグループが、首相官邸や財務大臣私邸、警視庁などを襲撃し、東京のど真ん中を数日にわたって占拠するというような状況でしょうか。そう考えると空恐ろしくなります。


 
 
なぜ冬に…?
ところで、二・二六事件と聞いて気になるのが、きわめて卑近なことではあるのですが、「なぜわざわざ冬に決起したのか?」ということです。

 

 

もちろん、事件の背景にある青年将校たちの思想や陸軍内部の対立も気にはなるのですが、現代のきわめて快適に整備された環境を生きる人間の目からすると、「なぜわざわざ冬に決起したのか」は素朴に気になるところです。

 

冬の決起というのは大変そうです。何より寒くて仕方なさそうですし、寒さによって武器の操作ミスなども発生しそうです。数日にわたって帝都の中心を占拠するのであれば、さまざまな物資が必要となりそうなものですが、やはり寒さを考慮すると冬のほうが必要となる物資が多くなりそうです。

 

 

言い換えればこれは、決起を春まで待てなかったのか……という疑問になりますが、その疑問に答えを与えてくれたのが、九州大学名誉教授で日本近代史が専門の有馬学氏による『帝国の昭和』でした。

 

 

〈二月二十六日という特定の時日はさておいて、青年将校がなぜこの時期に決起したのかといえば、第一師団が満州に派遣されることが内定し、当分の間決起の機会が得られなくなると判断されたからである〉(同書199頁)

なんのことはない、決起に参加すべき人員が満州派遣にとられてしまうことが原因だったというのです。意外な感もありますが、言われてみればたしかに、という理由です。まあ、クーデター未遂というのはそういうものなのか、と。

 

 
「帝都東京」の事件


……ところが、この「決起のタイミング」を決めるまでの思考のプロセスは、事件を起こした青年将校たちの「隠された思想」を明らかにしていると、同書はつづけます(改行の場所を編集しています)。

〈つまりこの場合、決起参加将校と彼らが動かせる部隊が在京していることが決定的に重要なのだ。あたかも毛沢東の「農村が都市を包囲する」というテーゼの逆を行くかのような、東京にいなければできない「革命」。


 
 
実際のところ事件に参加せず、したがって死刑にもならず、戦後に二・二六事件や青年将校運動の回想を書いた青年将校は、隊付将校として地方の連隊にあり、参加したくてもできなかったのである

 


[帝都を赤い血で染めた「二・二六事件」、青年将校はなぜ「冬の日」に決起したのか? 意外な理由があった(学術文庫&選書メチエ編集部) | 学術文庫&選書メチエ | 講談社(1/4)