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生きていくのが苦しくなるとふっと立ち現れる作家


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生きて いくのが 苦しくなると ふっと 立ち 現れる 作家
森 まゆみ


 
年々のかの子


私は単純平凡な小説の読者である。好みの文章に身をひたす快楽か、世の矛盾や悲惨を知るためか、あるいは生きることを支えるために読む。岡本かの子はいわゆる社会性のある作家ではない。でも生きていくのが苦しくなると、ふっと立ち現われて、柔らかい手を差しのべてくれる。

 

 

高校に入ったころ、瀬戸内晴美「かの子撩乱」の芝居を伯母につれられて見に行った。

 

「いよよ華やぐ命なりけり。『老妓抄』は昭和文学の白眉よ」

と帰りがけに浮き浮きと伯母はいい、私は帰って「ハクビ」という言葉をさっそく辞書で調べ、『金魚撩乱』と『老妓抄』から読みはじめた。が、高校一年生にはこの、愛について爆発的に考えたような小説群は分りにくかった。その果ての悲しみも伝わらなかった。近代結婚の倫理にもとらわれていたから、夫がいるのに恋愛をくり返し、その恋人を同居させるようなこの作家を断罪する目もはたらいていた。

 

 

友だちに聞いても、宮本百合子、野上弥生子、佐多稲子などはきっちり読んでいても、かの子は素通りしてしまった人が多い。色っぽすぎる、生々しい、気味悪いなどという。が、成長するにしたがって、年々にかの子は大事な作家になってきた。素通りするのは惜しい。

 

 

たとえば二十歳前後、私は知りあった男のひとに次々、去られる体験をした。みな、僕は君ほど強くない、というのだ。このとき、『花は勁し』を読んで、画家の小布施が主人公の桂子にいう科白(セリフ)にアッと思い当った。

 

 

「君には何か生れない前から予約されたとでもいう、一筋徹っている川の本流のようなものがあって、来るものを何でも流し込んで、その一筋をだんだん太らして行く。それに引き代え、僕は僅かに持って生れた池の水ほどの生命を、一生かかって撒き散らしてしまった」

 

 

「逞しい生命は弱い生命を小づき廻すものだ」「生命量の違うものの間に起こる愛は悲惨だ」ともある。私は男性との位置の決め方における失敗にもめげていたし、そして自分の生命量のすべてを引き受けてくれる男が現われないことも理不尽だと泣いたが、かの子の作品のナルシシズムにはずいぶん救われた。

 

 

「なんだなんだ。大きな体をして、三十八にもなって。美人の癖に。ちょっとの間は辛かろうが、君の弾力性が承知しないよ。君はまたじきにむくむくと起き上るだろう」

 

 

強いばかりの女じゃないのに、と泣きくずれる桂子に、別れ際に男はいう。強い女の孤独とはそういうものか、覚悟しなくちゃと思った。同じ三十八になってみると、この科白は岡本一平のものか、どの恋人のものか、あるいはかの子の自問自答だったのか、考えめぐらす。おそらく最後だろう。

 


『ちくま日本文学 037 岡本かの子』(筑摩書房)、『岡本かの子全集 』(筑摩書房) - 森 まゆみによる作家論/作家紹介 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

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